プライベート

【ALSと闘った父が亡くなりました】

 

今年の9月に大好きな父が亡くなりました。

亡くなった父と母のことを思い返すと、今でも涙が出る。


・同じ時期に両親が余命宣告
・父はALS、母は末期ガン
・両親ダブル介護生活
・幼く可愛い2人の長男次男との楽しくも忙しい育児

などなど、
とことん残酷な現実の中でも希望をなんとか見出しながら、家族みんなと共に、限界を越え続けたここ数年。



早く自分の中で整理するためにも文章にまとめようと思ったがまとめきれず、父の死から3ヶ月以上経ってしまった。

これらのことを書き出すにはかなりの気合がいる。

しかし、
今年あったことは今年のうちに、
一旦の区切りとして、書き残しておこうかなと。


起こったこと、
辛かったこと、
想った気持ち、
学んだことなどを
まとまりない感じでもドバドバ書いていこうと思います。



ーーーーーーーーー
母の時に母のこと書いたので、
今回は、父のことを書く。


ALSという本当に残酷な苦しい難病との闘病生活、
父本人がどれだけの苦しみの中にいたか、想像を絶する。


これまで66年間、
父は力持ちで手足不自由なく、
学生、社会人、結婚、3人の子育てを経て定年退職。

過去を振り返ると、
いつも父親は、世のため人のためを考えて仕事をしていた。

父の葬儀で会社関連の人から聞いたが、
お客様に確実な価値を提供するために一切の妥協を許さない職人肌、営業の達人、数学者、芸術家だったそうだ。


自動車関連の売上数千億規模の会社で、新入社員から40年勤め上げ、平社員からから本社役員まで上り詰めた。
相手が中国だろうとアメリカだろうとフランス、東南アジアだろうと臆さず交渉し契約を勝ち取った。
世界主要都市に製造工場を作りにいったり、会社への貢献度は計り知れないらしい。



葬儀で皆が口揃えていうのが、
「とても豪快な人だった」と。



まぁ確かに父みたいな人間はこれまで見たことない。笑




そんな父だったが
これから老後生活を楽しもうと考えていた矢先に、
無自覚にだんだん力が弱くなっていき、
歳のせいかと見過ごしていたが、
日常生活に支障が出るようになり、
ある日、医師にALSと宣告される。


まさかとは思っていたが、
本当に父がALSになるとは。

映画とか、漫画とか、他人の話だと思ってた。



ALSのことを、
他人事として点と点だけを見聞きしていた時は、
「大変なんだろうな」と思うだけだった。

でも実際に、
(私は父を介護していただけの立場だが)
自分事としてその線の上を生きて体感してみると、
「大変なんてもんじゃない、もっと別の次元の恐怖」の連続だった。


「もし自分だったら?」と思うとどれだけ恐ろしいか。

・本当にどんどん手足が弱り動かなくなっていく自分
・本当に歩けなくなっていく自分
・本当に自分1人で自分自身の生活行動を出来なくなっていく自分
・本当に喋ることが出来なくなっていく自分
・本当に呼吸をすることが出来なくなっていく自分
・本当にALSの症状が止まらない自分


私だったら、想像するのを脳が拒否するほど恐ろしい。


父は、常に、
その絶え間ない恐怖に向き合い、打ちひしがれながらも闘い続け、乗り越え続けた。

そんな厳しい状況の中でも、息子の私や妻や孫のことを最優先に考えてくれた。
冗談を言ったり、笑顔を見せてくれた。



父はどれだけ大きな人なんだろう、と改めて思った。



後半になればなるほど、会話は、
未来に対する心配事よりも
これまでの感謝が多くなった。

最後は、感謝の言葉しか交わさなかった。



介護をする中で気付きがあった。

点と点ではなく、ちゃんと線で相手の立場に立った時、
より相手の心に寄り添えるんだろうな、と。
その分、より多くの覚悟とか勇気が必要なんだな、と。




私はこれまで、

他人のことや周りで起こったことや、
自分のことでさえも、

点と点を粗末に結んで、いびつで直線的な繋がりとして見ていたけど、

「これからは、
ちゃんと滑らかな線として捉えるようにしよう。」

と、気付きました。



そしていつかは、
直接関わっていない領域の
人のことや起こったことについても、
その時々のタイミングとか、
その人の背景も生い立ちも周りの環境とかも、
フラットでナチュラルな感じで、
線として、面として、多面体として、
物事をめーーーちゃくちゃ客観的に捉えて見れたら良いなと。


また一方で、
必要な時には、
自分の人生の有限性を考えて、
人が驚くほど、主観的で独裁的に
夢中な感じで、周りにびくともせずに決断できる自分でいたいなと。


そんなことに気付く。


ーーーーーーー
父のALSの闘病生活のこの時期の起こったことや情景や感情は、一生覚えておきたい。

 

・ALSと医師から宣告された日、夜中に皆が寝た後に父が1人で悔し泣き、叫んでいたこと

・普通の人のリハビリよりも倍以上、寝る間も惜しんで手の体操や足の体操を誰も見てないところで、一人で頑張っていたこと
・ その成果もあり、一時期はALSの進行を食い止めていたこと
・医者も驚いていたこと


・それでもALSの進行は止まらなかったこと

・一人でトイレ出来なくなり、父の便の世話を初めてした時のこと

・一人では日常生活が出来なくなったこと

・本当に寝たきりになってしまったこと


・家族に迷惑をかけるからと、自分から一人で施設に入ったこと


・施設生活で毎日ストレスを抱えながらも毎日リハビリを頑張っていたこと

・施設のテレビで、私自身の仕事で作ったWebサービスのCMが時々流れ、「これ息子が作ってるんだよ」と介護士さん全員に自慢してくれていたこと


・施設には、父のように難病や障害と一生懸命に戦う患者さんたちがたくさんいたこと
・色んな年代の闘病者さん、子供の闘病者さんもいたこと
・どれだけ頑張っても、努力という範疇では「日常」を乗り越えられない人が世の中にいるということ
・それでもめげずに毎日を必死で生きている人がいること
・毎日普通に生きていけることが、ただただありがたいんだということ
・何かに挑戦できる努力できるような、環境、状況にいるということ自体が尊いんだということ



・あれだけ絶対的覇王だった、強くて大きくて頭が良くて何でも教えてくれた厳しくて優しい父が、どんどん弱っていったこと
・そのことを誰より悔しがっている父を見た時、本当に辛かったこと


・私自身が倒れたら全てが終わるような緊迫した状況の中で、仕事や子育てや介護をしていたこと


・だんだん話すことが難しくなり、会話が出来なくなっていったこと

・「彬がいて良かった、産まれて来てくれてありがとう。彬の好きなように生きなさい。後のことは頼んだよ。」と父が言ってくれたこと
・「お父さんお母さんの息子で本当に良かった。心からありがとう。」と父に伝えられたこと




・ついに、父の言葉が聞き取れなくなったこと
・ついに、父に言葉が届かなくなってしまったこと


・何回も呼吸が止まったこと

・父の苦しみを考えて、悩み抜いて、延命治療を辞めることにサインしたこと
・涙が止まらなかったこと





・父が亡くなったこと






・亡くなった後に悲しむ暇もなく、喪主として慌ただしく親戚と葬儀を行ったこと

・コロナの時期だったので、葬儀は家族葬で小規模に行わせてもらうと父の元いた会社関係の人たちに断らせて頂いたが、錚々たる会社の経営陣の方々が「とてもお世話になったから」「大好きなひとなので」と、多くの人が父を見送ってくれたこと
・「やっぱりカッコよかったんだな俺のお父さんは」と心の底から父を誇らしく思ったこと
・上司からも部下からも別の部署からも、外部の会社からも慕われていた、こんなにデカい漢の息子であることを本当に嬉しく思えたこと
・葬儀に来てくれた会社関連の人たちが「あなたのお父さんはいつも『自慢の息子がいるんだ』といつも言っていましたよ」と教えてくれたこと



・本当に父と母の息子で良かったこと


色んなことがあった。


ここには書き切れないほどの壮絶な日々、
全部のことを、
まるで、昨日のことのように思い出せる。




一生、どんな時でも、
どんだけ歳を取っても、
この時期のコトを思い出せる自分でいたい。


忘れちゃダメだと思う。これらのことは。



この思い出を心に刻んで、
これからもより優しく、
より強い男へ精進していきます。


ーーーーーーーーー
こんなに壮絶な日々の中でも、
私自身の心が何も壊れずに乗り越えていけたのは、
本当に妻と子供のおかげですね。


もし、1人で仕事とダブル介護の生活を繰り返していたらと思うと、ゾッとする。


どれだけ辛いことがあっても、
家に帰れば、明るい笑顔で私をめちゃくちゃ回復させてくれる妻と子供がいたから、
1日1日をなんとか持ち堪えることが出来た。


この恩は一生忘れない。


本当にありがとうなんだ。


沢山伝えたいことがあるが、行動で、結果で、たくさんお返しさせてもらいます。

より強くて優しい夫・パパを目指しながら、
大切に、幸せにする。

これからも宜しくです。


ーーーーーーーーー
最後に両親への言葉を残しておく。

母が亡くなって約2年、父が亡くなって約3ヶ月。両親に育てて頂いて30年。


本当に本当に、両親の子供で良かった。


楽しいことばかりじゃない30年、
辛いことばかりじゃない30年、
私が高校1年の時に父が大腸癌とか高校3年の時に父が肺がん、
大学1年の時に母が乳がん、
大学2年の時に姉が記憶喪失になったりと、

たくさんの病に悩まされた家族だけど、

食べたいもの好きなだけ食べれて、
家族愛情たっぷりで、
そんな状況だったから学べたこともあったし、

その全ての病をその時には乗り越えて、

こんなに恵まれた環境・状況に生まれ、

ここまで育てて頂き、本当にありがとうございます。


妻と私自身が今、子育てしているからこそ分かるこの大変さ。

こんな大変な子育てを笑顔で成し遂げてくれた両親は、本当に偉大だ。

感謝しかない。



舟越家という名前を継ぐ男は親戚に私しかいないので、これからの家系の責任をしっかりと持ちながら、自分らしく生きていきます。



また、私の妻や子供たちへ夢や意志を伝えていきながら、愛情たっぷりで、共に成長していきたいと思います。


本当に、本当にありがとうございました。






以上で、両親との生活の一端の区切り&今後の生活への意気込み宣言とさせて頂きます。






託される側から託す側へ





こんなまとまりない長文の投稿を読んで頂いた方、ありがとうございます。




今後とも、何卒宜しくお願い致します。

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【あきらパパ紹介】 ・プログラミング教える3児のパパ ・現役エンジニア(7年くらい) ・エンジニア育成の企業研修講師リピート多数 ・焼肉とJavascriptとお酒とアジャイルが大好物  ...etc
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